福知山線脱線事故

 25日、JR福知山線が脱線を起こし、22時現在死者50人、負傷者200人を超す大惨事となっている。
 11時では3人死亡、11時50分で16人、12時で18人、12時10分で25人と死者数が増えていったが、インターネットは最新の情報しか出ないので、既に確認することは出来ない。 
 午前9時11分。福知山線尼崎−塚口駅間の踏切付近で快速列車がカーブを曲がりきれず脱線、近くの車、マンションに激突し1〜3両目は見る姿が無くなった。
この電車は伊丹駅で8メートルのオーバーランをして1分30秒遅れ、猪名寺塚口駅通過で30秒は挽回し、1分遅れだったという。現場には砕かれた石があったという情報もある。
 原因については複合的なものだろうが、スピードの出すぎも原因の一つであることは確かであろう。ブレーキが壊れオーバーラン、壊れたブレーキでカーブが曲がりきれない説も否定できないが・・・
 さて、運転手は23歳の運転士1名。電車というのがいつから1人になったか分からないがニュースを見る限り車掌もいなかったのだろう。。。
 運転手の心理に迫っていこう。この運転手、数ヶ月前にもオーバーランを起こしている。これで2度目である。2人いるならオーバーランの後、責任は半分ということで気は軽くなる。しかし、一人の場合はどうだろう。責任は自分一人。さらに1分半の遅れでもニュースになって責められる時代である。オーバーランをおこしてしまった運転手という称号がこれから30年以上つきまとうことになるだろう。2人だったら自分だけではないという気楽感からそんな悪い箔はつかずにすむのだが、1人だったらどうであろう。自分一人のせいで遅れてしまった。上に自分一人責められるだろう。自分はこれからお先真っ暗だ。。。
否が応にも遅れは取り戻さなければならない。制限速度をオーバーしても。邪推だがたとえ事故を起こしてもと思う人もいるかもしれない。
 さて、これが2人以上運転手や協力者がいたらどうだろう。オーバーラン自体ならなかった可能性が高い。オーバーランをして遅れたにしてもスピードの出し過ぎを諫める事になるだろう。責任も半分で済み、気が軽くなる。結論からして、2人だと事故は起きえなかっただろう。
公的機関は効率化や人件費削減などで人を減らしているが、その分、一人一人の責任が重くなった。さらに、一人だという重圧感もあり、精神的にも消耗する。責任が重くなっただけですむならまだしも、事故へのリスクは非常に高くなっているのだ。
鉄道だけではない。日本航空なども合併による効率化で軽微なミスを起こしている。重大な事故にならなかっただけである。
全ての公的機関は、効率化を急ぐあまり大切なことを忘れてはいないだろうか。頭だけ大きくなって現場の疲労、志気などを感じているのであろうか。公的機関に限ったことではないが、現場の疲労や志気を読みとりそれに沿った対応をしないといつかは事故を起こす。
 さて、この事故に関する報道の対応だが、マスコミはJR西日本の社長に対し説明責任が云々と言っている。しかしこれは単純に責めているだけで、まだ原因究明を突き止めるまでは説明できるものではない。報道陣が大声を上げている姿は見苦しいものがある。
死者数が増えていき落胆的になる中、4人救出がトップ記事となる。日航機墜落事故新潟県中越地震でも生存・救出の姿は大きくクローズアップされる。これは希望の光や勇気を持たせるため、悪いことではないが、勇太ちゃんの救出みたいに大きく報道することもないだろう。
22時10分、死者53名。。。22時57分で54名。。。死者数は増えている。ご冥福をお祈りしたい。