地震と情報
今週のニュースまとめて 長い文章はきっと最初で最後ヽ(´ー`)ノ
10年前の1月17日...自分は何故か朝っぱらから目が覚めていた。
で、眠れないのでぼーーっとテレビを見てたら大きな地震の情報
各地の震度は、震度5が豊岡と京都、彦根の3カ所。震源地は兵庫県南部。
各放送局でそのニュースになり、京都や大阪の揺れでどこそこのお寺の
瓦がはがれたとかを伝える。
この地点ではまだ神戸と洲本の震度は入っていない。
(震源地近くの震度計がある場所なんて知っている人の方が少なかっただろう)
ようやく、めざましテレビで神戸の状況を電話中継ができた。
この地点で、情報は混乱しながらも死者は3人ほどの状況。。
大塚さんが、今の状況を伝えて下さいと言うと、「そばを走っている高速道路が縦になってます」ハァ?わけわからん。
「隣の家が全壊してます。そこに住んでいたおばあちゃんも亡くなりました。」
にこにこしていた大塚さんの顔色が変わった。
自分を含めてようやく事の重大さがわかりだしてきたのだ。
(記憶違いな部分もあるかもしれないけどこんな内容。めざましテレビにはこの日の放送を再放送してもらいたい。)
テレビの情報はまだ混乱している。
NHKは神戸は震度6と一旦放送しながらもそれを取り消したりした。
洲本の震度情報は地震発生から3時間以上経った9時過ぎだったと記憶している。
- 情報の迷走はその後の救援活動にも跡を残す。
救援活動ができていない!
まず当時の村山総理が地震のことを知ったのは発生から1時間後。
自衛隊に救援要請も通信が出来ない。
自衛隊は自衛隊で何をすればいいか分からない状態。
援助物資の方は国の方が後手後手なため、民間ボランティアが活躍した。
ただ民間ボランティアの援助物資は火災で絵になった神戸長田区方面に多く流れた
震源地に近い淡路島などには援助物資は少なかったということを後から聞いた。
国の救援は後手後手にまわった。誰も神戸淡路の状況を詳しく知らないし何をするにも行政の縦割りで決裁するためには時間がかかった。
避難場所、医療やトイレの需要、民間ボランティアが動き出したずいぶん後から国が大量に、しかしその頃の需要は飲み水。これもやはりずいぶん後に国の援助。しかしその頃は食料品、寝具類・・・このような順番だったと思う。
17日地点で死者は200人ちょっと。まだまだ増えるな。
翌18日には予想通り1300人程度に。もう少し増えるかも。
しかしそれだけではなかった。20日には死者4000人を越し、
遠因を含む死者不明6566名、負傷者43000人以上、住宅の全半壊20万以上・・・誰もの予想を超える惨事となった。
しかし、これを機に地震に関する対策は大きく変わった。
各市町村に震度計を設置して情報に関しては万全だ。救援活動もどのようにすればいいかわかるようになってきた。
・・・なんてのは甘い!!
確かにこの前の新潟県中越地震で救援活動はややスムーズだった。全てに行き届いたかというと?が残るものの、そんなもの完全にできるわけがないので合格点だろう。救援というのが地域や季節、規模で変わるものだから。
各地に震度計を設置して、変わるものといえば自分の市町村の震度と揺れの大きい場所
まぁ、これだけ震度計あれば震度計壊れていても揺れの大きい場所がわかるが今回の新潟、川口町のように救援は遅れるだろう。
ひとこと言わせてもらうと今の状態では震度7が即座に伝わる可能性は3割、震度6強だと7割程度ではないだろうか。
震度を東京まで送るまでのプロセスに1つでも障害があってはいけないのだから。
まず震度計が地震で壊れては意味がない。震度を計測しても停電で落ちたり衛星に送るまでの回線の断、よしんば東京に送れてもデータの多さで処理する方がパンクしてもいけない。(東京で大きな地震あって気象庁潰れた場合どうなるんだろ・・・?)
これが、被災地でないところの情報として的確かどうかは分からない。
被災地でないところは被災地の情報を、被災地にはどうしたら助かるかなどの情報が必要。
まぁ一言で言わせてもらうと大きな地震起きたら震度出てないところと震源地、規模から被害状況を推定しろってこと。
言うだけ言ったけど、実際自分の所で大地震起きたら、対応できない気がするがヽ(´ー`)ノ
大地震起きると建設株上がるけど、なんかばちあたりの感じがして自分は乗れない・・・
震災を風化させないために過去の日記から一部抜粋。
あと阪神大震災10周年記念事業とかいうけど、お祭りじゃないんだから〜周年とか記念とかいうなと。
長くなったので今週のニュース総括は、明日、、、するかな・・・?